2012年8月18日土曜日

夏の富士吉田

はじめて夏に富士吉田を訪れました。
冬の富士吉田しか知らなかった私にとっては新鮮でした。
イキイキしているといった印象でした。
冬の間は眠っている木々の息吹が聞こえていました。
「夏の富士吉田は活気がありますね」と柏木さんに話したら、笑われました。
柏木さんというのは老人福祉センターの所長さんで、今回初めてお会いしました。
志村正彦さんの写真を展示してくださっています。
志村さんを想って、富士吉田に来られるファン方々に何かできないかと
考えてくださっています。本当にありがたいです。
富士吉田に行く楽しみが増えました。

夏の富士山もきれいです。

忠霊塔からの富士山

2011年11月20日日曜日

2011年10月25日火曜日

タイの洪水とトルコの地震

タイの洪水がまだまだ深刻であること。
トルコで大きな地震が起こって、たくさんの方が犠牲になっていること。
タイもトルコも私の知っている人が住んでいる。
自然災害とはいっても、やはり「どうして?」と思う。
毎日が平穏で暮らせることに、どこであってもならないものなのか。

2011年10月23日日曜日

再出発

思うところがあって、過去の日記を削除しました。
新たに再出発します。
旅日記やお気に入りのものなど綴っていきます。
よろしくお願いします。

2010年11月22日月曜日

下吉田

この土日で富士吉田に行って来ました。
志村正彦さんのルーツを知る旅になりました。

まず目指すは忠霊塔
長い階段を息を切らしながら登った。階段で中学生の野球部がトレーニングしていた。こんな知らないおばさんに次々に挨拶をしてくれた。なんとも気持ちがいい。下吉田中と書いてあったと思う。きっと志村さんが通った中学校だろう。
日曜日なのに人気がない。てっぺんまで行くと見晴らしのいいスポットがあった。そこから富士吉田が一望できる。きっとここで志村さんはいろいろ考えていたのだろう。下には富士吉田市民会館が見える。ミュージシャンとして成功したら、あそこでファンの人を呼んでライブがしたい、なんて夢見ていたんでしょうね。その夢が叶いましたね。
忠霊塔から富士山がよーく見えるはずなのですが、私が行ったときは、富士山は雲で隠れておしまいになっていました。
富士山は見えないけれど、雲の向こうにいる。志村さんも姿は見えないけれど、いるのです。
下浅間神社にお参りしました。

朝8時過ぎにお参りしていると、神主さんの方から声をかけていただいた。
神社の中に案内していただき、このはなさくやひめさまの着替えられたお着物がお供えしているのを見せていただいた。お着物は大変かわいいサイズであった。今年の9月に60年目のお召し替えの神事が行われて、その着物はあまりにも強力な力を放っていたので、しばらくはお堂に安置されていたのだそうだ。
八災厄払いをお願いしたら、快く受けていただき、していただいた。

なんだか、志村さんがそうなるように導いてくれたような気がした。

たくさんの厄を払ってもらって、気分爽快!


写真は無いのですが、「みうらうどん」に行って来ました。ベジタリアンでローフーディストの私には挑戦となりました。かけうどん300円を注文したら、具にキャベツをお揚げさんとネギがのってました。
うどんはこしが強いというか、食感がお団子のようで、以前、家で手打ちうどんを作ったときに出来てしまったのと同じようなものでした。私は美味しいとは思えなかったのです。

泊まったのは「富士吉田ユースホステル」で築70年以上にもなる木造家屋でありますが、内装をきれいにされているし、布団も清潔であったので、思った以上に快適でした。1泊3200年はとてもリーズナブルです。宿の女将さんがとても感じのいい人でした。

下吉田の駅がとてもキュートでした。










駅の天上にはこんな絵が




忠霊塔がやはり私の一番のお気に入りの場所です。もし私が下吉田に生まれ育ったら、志村さんのようによく忠霊塔に登っていたと思う。富士山がパワースポットだと聞くけれど、忠霊塔も同じくパワースポットである。志村さんはきっと、東京に住んでいたときに、忠霊塔が恋しかったのに違いないと思った。志村さんは東京暮らしでパワーを吸い取られてしまったんだろうなぁ。
忠霊塔からの紅葉の写真









今回の旅は魂が歓喜するものだった。
きっと志村さんが私をそこに呼んでくれたのだろう。

ありがとう!


2010年11月12日金曜日

ルーティーン

ブログのタイトルでもある『ルーティーン』はこの曲のことです。

2010年11月4日木曜日

非暴力コミュニケーション

昨日、東京でのNVC(Non Violent Communication)、非暴力コミュニケーションのワークショップに日帰りで行って来た。朝、6時24分新大阪発の新幹線に乗って。富士山がきれいに見えた。写真を撮る。

講師のフランソワ ボソレイユさんの話は評判どおり分かりやすい。

NVCの要は敵を作らないこと。

敵を作るのは「解釈上」のこと。「観察」でとどめておくと、敵意も誤解もない。
それに、敵意を持つ事自体、エネルギーを使うから疲れる。

これには腑に落ちた。

「自己に共感する」については、自分で自分の感情を分析して、それに必要なことを考える。
必要が満たされることを考えて、嘆く。NVCは嘆きだとも言っていた。嘆き涙が出ることで、それが自分勝手な解釈であったことに気づく。問題があると思うのは、すべて、自分の中での解釈であり、それに気づくことで、なーんだ、そうだったのか、と思えて、心の平和が戻るということ、と理解した。

NVCは奥が深いので、これからずっと学び続ける必要あり!

それにしても、嘆きといえば、すぐに志村さんを思い出す。彼はまさに自分に対する嘆きを隠さずに歌にしていった。志村さんはほんとに偉大です。